7月5日(日) オオバギボウシ
藪の中に、白い光を放つ花を見つけました。1mほどにもなるその高さ、花の時期(ほかのギボウシより早い)、花の色(白い)からすると、オオバギボウシのようです。
ギボウシ類は、花よりも葉の鑑賞価値で愛好家が多く、種類もさまざまです。そんな中で、このオオバギボウシは草原で見かけたり、ウルイとして春の珍味となったり、わりと素朴で身近な存在です。
一日でしおれる花は、たしかに始末が悪い眺めですが、じっくり見るとそれなりの面白さがあります。雌シベと雄シベがやたら離れているのは、他家受粉というしくみのためでしょう。そして、役目を終えた雌シベがチュルチュルリンと糸くずのようになったのを見ると、なにやら「お疲れさま」と声をかけたくなってしまいます。
2008年のきょう<ブルーサルビア> 2007年のきょう<リシマキア・プンクタータ> 2006年のきょう<インドハマユウ> 2005年のきょう<ノブドウ> 2004年のきょう<アサガオ>
きのう、軽々しく引き合いに出したクサフジです。「そんなものになんか似てないやい」というご本人の声が聞こえたような気がして、あらためて登場してもらいます。
いかにもマメ科らしく堂々とした実をつけます。かなり青臭く感じましたが、茹でたら今晩のビールの友くらいはつとめてくれそうです。
キンコウカ…、「キン」は「近」でもなければ「菌」でも「禁」でもなくて、この花色からして十中八九は「金」だろうな、と察しがつきます。
この叙情的(に撮ったつもり…)な写真ときょうのタイトル(オニシモツケ)とはチグハグで、自分で記事を作っていて妙に落ち着きません。
ただし、全身像(?)を見るとすぐに納得できて、草丈が男の背ほどに高く、葉はざっくりと大型です。乙女チックなお顔の下にがっちり筋肉質ボディとくれば、なにかのアニメキャラみたいですが、そんな仮想世界ではなく、やや山深い草地に生息します。
苦手なジャンルはあげるに事欠かないのですが、ハーブもその中の代表です。まだまだ知らない種類(だけど、その世界では有名)がたくさんです。
中央付近の花穂に止まった蜂と比べて、「ずいぶん大きな
萩という名前のくせに、秋でもなく初夏に、紫ではなく黄色い花を見つけて戸惑ったのが
白い花がつぶれて(飛んで)しまっていた3年前の写真(きのう掲載)のあとは、名誉回復のために現在の腕をご披露しましょう。
シコタンは例の北方四島の色丹です。現地視察に行ってきました…という真っ赤な嘘をつくと、この真っ白な花に申し訳がたちません。梅雨の盛りの本州でも、やや涼しめの山の上ならこういう景色を楽しませてもらうことができました。
エーデルワイスと聞いてこの姿を想う人よりは、あのジュリー・アンドリュースの歌声を脳裏に蘇らせる人の方が圧倒的に多いような気がします。いやいや、ご愛顧のパン屋さんのことかと思う人が、もしかしたら一番多かったりして…。
市民農園で栽培されていたならふつうの苺(オランダイチゴ系)でしょうが、ハーブを寄せ植えした花壇にあってワイルドストロベリーという名札がつけられていました。
名前のとおり、葉は
ところが、この山吹升麻はやや派手さの不足な株もあります。山吹と鳥足が混在しているのかと焦りましたが、そうではなくてこちらは雌株かも知れません。
かなり気合いの入った1枚です。これを探して歩き回ること2時間、ようやく見つけたのが崖の途中で、長雨のあとの粘土質の急斜面にへばりついての撮影でした。
雨上がりの池のほとりで白い花を見つけました。池ではアメンボウがスーイスイ。とってものどかなひとときです。
花がすっかり萎んでしまったように見えます。実際に雨後で情けなくはなっていますが、この花はこういう筒型(壺型)なので、これ以上華やかな姿にはなりません。
カキネガラシは、垣根「枯らし」かなと考えた自分は浅はかで、「
名前を混同してしまいそうなものに
いくら一人静さんだって、これだけ群がればさぞや騒々しかろうとほくそ笑んでしまいました。もっとすごい群生地はあるはずですが、自分が今まで見た中では一番大きなものです。
この植物はきれいな名前で得をしていて、花の姿からは「ブラシ草」などと呼ばれても仕方がない感じです。むしろセンリョウ科チャラン属の仲間である
背丈が20㎝ほどの、いかにもかわいらしい姿です。小ささなら
あくまで個人的体験ですが、花を見かけやすい順番は、
北海道のシンボルのような花で、北大の校章がこれだそうです。と書くと、いかにも北の大地を旅してきたみたいですが、残念ながらこのところ津軽海峡を越す機会がなく、これは本州北部での撮影です。
もしこの草の名前(カッコソウ)が書き取り試験に出たら、「確固草」と書けば、この凛とした姿に多少は符合するでしょうか。幻の草という意味で、「()草」とするのも大ハズレではないように思えます。
きのう、スイバとの比較対象として触れたギシギシです。前に載せたのは
ずっと前、ここに
ところで、スイバは雌雄異株(ギシギシは雌雄同株)で、この株はウニのような雌シベでわかるように雌株でした。できれば雄株と比較したかったのに、近くでは見当たらず、やや垂れ下がってうつむき加減の雄花を載せるのは次の機会になりました。
地中の水が滲み出して小さな流れになっていて、まるで夏のような日射しも木立に遮られ、野歩きのひと休みには絶好の場所でした。しかし、腰を下ろそうにもこういううれしい草がビッシリでは休憩はしばしお預けです。
チャイブとアサツキはどう違うのだろうと思ったら、チャイブは別名をセイヨウアサツキと呼ぶそうです。前に載せた
ニンジンみたいな葉をつまむとパセリっぽい香りがします。タイ料理ではパクチーと呼ばれるもので、スープに入れられたときの香りは好き嫌いが分かれるようです。
土手の日向で、スギナをかき分けるように咲いていました。名前を貸してあげている
道路と線路に挟まれて草ぼうぼうの空隙地の中に、見慣れたアブラナ科の花がありました。うすくうすく赤紫を含んだこの花はどう見ても
一本、エイッと抜いてみました。かなり寸足らずではあっても、これは紛れもないダイコンです。もちろん味見しました。しっかり「あの味」です。
きょうのタイトルを「ギンサン」としそうで慌てました。きのういただいたコメントで、もう予測されてしまいましたが、やはりきのうキンランとくれば、きょうはギンランです。
ちょっと情けない写真なのですが、そんじょそこらで撮り直しのきく花ではないので、まずは「見たもんね~」という意味で掲載しておきます。
スギナの先に土筆の穂先が合体しています。普通のスギナは、
真っ赤な実をつけた秋の姿ばかり先行していた
ハランの花です。2年前から今の時期を狙っていて、ようやく写せました。
固定観念というのは邪魔なものです。ふつうは花が咲いたら見頃として喜ぶものを、葉牡丹が花を開くと、間抜けで情けない姿と見てしまいます。
きょうは自分としての「大物」を載せることにしました。このブログの5回目の誕生日でして、ささやかに自前のお祝いです。
オオリキュウバイを載せて、「オオッ」と思い出したのがオオイワウチワで、あまりのくだらなさにせっかくの春の陽気がぐっと冷え込んだようです。
単調なブログになっているから、お題までタンチョウになってしまいました…などと自虐ギャグではじめてみます。
きのうのカランコエ(八重)は「人造もの」でしたが、トキワイカリソウの白花は天然自然のものです。こういうのを見つけたときは、なにか心に安堵が広がります。
これもカランコエ!?という
地上10~15㎝のところでうつむきに咲いてくれるので、仕方なしに強引に上を向いてもらいました。中にはきちんと雌雄のシベがありました。
サトイモ科テンナンショウ属の花を見つけるのは、春の楽しみです。どぎついキャラぞろいの中で、これは名前のとおり福々しく垂れた耳が特徴です。
両手を丸めたほどの大きな真っ白の花が水辺で際立っていました。黄色い芯がチャームポイントですが、本当はこちらが花で、白いところは仏炎苞です。
カランコエといえば、普通には
冬をすごしてややくたびれた葉が地面を覆う中から、スッと20㎝ほどのび上がって咲く花の形が目をひきます。いかにも春らしい色にも頬がゆるみます。
念願のヤマアイの雌花をやっととらえました。画面中央に写っているカモメ型の白いものがその雌シベです。もし大きければゼリー菓子みたいと言えるのですが、差し渡しでせいぜい5~6mmしかありません。
今まで三度もこの花を載せてきながら、その恥ずかしくも雄渾(?)な名前の元に触れないできました。ついに禁断の映像(笑)の登場です。
意地になってアシと呼びますが、世間さまではヨシと呼ぶのがメジャーです。早春の若芽を粉にして、お茶やら蕎麦やら団子やら、果てはアイスまで売り出されていますが、そういうときの名前にはたいていヨシが冠されています。













































しかし、これは

























































簪というにはややガサツだし、かと言って稲こきの農具(名前は忘れました)に見立てるには歯が逆向きです。
ようやく咲きました。今年初めて植えてみた夜顔の最初の一輪です。植え付けが遅かったので、開花があぶなく9月にずれ込むところでした。
○○フウロという植物はいくつもあって、○○ショウマと同じくらい安直な名づけではないかと少し批判的になったりします。同じフウロソウ科の仲間でも、ゲンノショウコのように存在感のある名前がある一方で、やや投げやりなこの名前がかわいそうです。
きょうから写真サイズを変えます。そのワイド化の初日にふさわしく、「銃口」をグーンと横にのばした鉄砲百合が新サイズ適用第1号です。
まるで狼煙のように、白い綿毛がウネウネと立ち昇っていて、咲き残りの茎が隣になかったら、ヤナギランとは気づかなかったと思います。
あれ、髪、切った? おとといよ(プン) というのをペチュニア現象といいます(冗談です)。あまりに身近なせいで、このブログ5年目にして初登場となりました。
いきなり調子が変わりまして、なにやら花屋の店先のごとき賑わいです。
うらめしげに
ようやくキカラスウリの雌株と仲良くなれました。あとはこの実が順調に黄色くなってくれるのを待つばかりです。
きのうと比べて、その違いを確認できるように、オオダイコンソウのその後の姿を引っ張り出しました。

ほんの幾粒かの
ちょうど
蕾から枯れ切った姿まで、そして花の向きも360度、と我ながら気の利いた一枚が撮れました。
ストローの先を3つに裂いたような柱頭、その付け根でカールしている雄シベ、そしてタコ踊りのような花びら、どれもがバカバカしいほどに風変りな姿です。
なんとも結構な枝振りの松ですなァ、という声がかかりそうですが、右下の枝にご注目ください。
長い筒状の子房の先に、同じくらいの長さの白い雌シベが1本立ち、黄色い葯を持つ雄シベはやや枯れかけています。
横に立つ街路灯と比べればわかるように、主幹は堅く見て7mはありそうです。
この一枚に辿り着くまでの艱難辛苦といったら、それはもう筆舌には尽くせない…なんてことはないのですが、時間だけはかかりました。
視野狭窄のケがありまして、初めて撮ったハマボウとハマゴウに気を奪われ、三つ目の一文字違いを忘れていました。
柿色と言って連想するのは、子どものころに読まされた偉人伝の柿右衛門です。柿の木の下で中空を凝視する職人姿が忘れられません。
きょうは暑中見舞いのつもりで涼しげな一点です。
2年前の
青柳と言えば、思い浮かべるのはあの鮨ネタで、本名はたしかバカガイのはず。この凛とした緑の花がバカガイと同じ名前とは、あまりと言えばあまりです。
きょうはお買い得情報です。4号鉢で買ってきた苗を10号に植え替えたら、あっと言う間に花が鉢を覆ってくれました。
クララと聞いて、まず一番に連想したことはなんですか?
左がおととい、右がきのう、同じ一本の茎の変化です。
きのうのチングルマがバラ科ダイコンソウ属ということを勉強し直したおかげで、そのダイコンソウを思い出しました。
さて、これが子ども用の風グルマに見えたらおなぐさみ。5月に
鯛釣り菅とも呼ぶそうですが、これは鯛というよりはハリセンボンに見えます。
なんでもお気楽に蘭と名づけてしまった先人に悪態をつきつつも、色みの乏しい野原でこれを見たら蘭と呼びたくなっても仕方ないかと、いくらか共感を覚えます。
この花を真上から
花の茎を包んだゼリーがきれいです。この物体による「にゅるるん感」がジュンサイの持ち味で、酢の物やお吸い物として愛好されます。
きのうは緑の実でしたが、今度は赤い実で、しかも木ではなく草の実です。
雑然とした写真ですが、きのうのオオハンゲと比較できるよう、カラスビシャクの生息状況をそのまま写しました。
花は、仲間の
青系サルビアを3連発してみました。本当は30連発くらいしないといけないのでしょうが、今回の青シリーズはこれで打ち止めにします。
きのう、青いサルビア類に触れたので、ついでにこんな青を載せましょう。
ご近所だけでも3軒がこれを植えていて、夏花壇の定番と言えそうです。
きのうは言い訳、きょうはお詫び、と、なんだか哀れなブログになってきました。
ここに自信を持ってあげられる植物は少なくて、いつも俄か勉強の付け焼刃でこわごわ載せるのですが、きょうはとりわけ腰が引けています。
久しぶりにお外で天麩羅などいただいたら、トマトオロシというのを知りました。紅葉オロシの人参はほぼ色づけ役ですが、トマトは色だけでなく味もかなり自己主張してくれます。
葉を屋根に葺き、根を薬用に煎じ、花は甘味とし、姿は和歌に詠い、じつにご先祖さまたちはこの植物とともに生活をしてきたようです。
サボテンの花としてはあまり気むずかしくなく、暑くなり出すとあちこちで黄色く照り輝き始めます。
尾瀬に行ってきた人が、きれいだったァと水芭蕉の報告をくれましたが、尾瀬ほど標高のないところのそれはもういかにも
名前にふさわしく花穂が二本のものを探すのに手間取りました。いくら静さんでも三人では姦しくてなりません。
右端が咲き始めで、左・中央という順に花が進みます。
咲き始めからひと月以上もたって、ようやく合点のいく姿になってきました。
見るに堪えない画像であるのは百も承知ですが、きれいに咲いた花は、またいつの日か載せることもできるでしょう。
イワタバコと言えば鎌倉が有名ですが、あすこまで観光地になると気後れして足が向きません。
奥の灰色は池の水面です。つまり、この草の生息環境を映したかったのですが、説明が必要な悲しい絵になりました。
娘が二人いるのですが、下の方はいつもぼやきます。姉に比べると、親に軽視されているそうで、その証拠の一つが小さいときの写真の量なのだと言います。
先日の